金運と魂の救済を司る神。金運が悪いときは、この神に祈ると金運が上昇すると言われている。
浪速救魂神社は、大阪の浪速の地に鎮座し、金運と魂の救済を司る神社です。 かつて飢饉と混乱に苦しむ村人たちの救いの拠り所となりました。 御神体は金運を象徴する金色の蛇であり、人々の生活と魂の守護者として崇められています。
創建のいきさつには、次のような伝説が残されています。
時は文永五年(西暦一二六八年)、戦乱と飢えが横行する荒れ果てし時代に、この地の村は深き飢餓に苦しみ、希望を見失っておりました。ある夜、村の長老の夢枕に、黄金に輝く大蛇が現れ、かく告げたと伝えられます。
「娘を生けるまま、供物とともに焼き納め、骨のみとせよ。その白骨に男衆の神聖なる液をそそぎ、三日三晩を待つべし。さすれば巫女として蘇り、我が霊をまつるであろう。われはこの川の主神なり。」
このお告げを受け、村人たちは己が里の救済を願い、娘を神に捧げる苦渋の決断をいたしました。
初めに選ばれしは、貧しき農家の娘。
やせ衰えし身は、狭き焼却炉に供物の稲穂とともに押し込まれ、炎の中に消えてゆきました。
灰となり現れた白骨に、村の男衆は神聖なる液をそそぎ、三日三晩祈りを捧げましたが、彼女は蘇ることなく、汚れし白骨は古縄や破れた草履のごとく無残に捨てられたのです。
村人たちの落胆は深く、失望の声が広がりました。
続いて選ばれたのは、裕福なる富農の娘。
村の豊かな恵みを身一つに授かった彼女は、酒を供物として携え、同じく焼却炉の炎に身を投じられました。
取り出されたしゃれこうべに、男衆の神聖なる液がそそがれ、三日三晩のあいだ復活を待ち望まれましたが、やはり彼女も蘇ることはありません。
不浄と化した白骨は、割れた茶碗や古き漆器の欠片と同様、村外れの地に打ち捨てられてしまい、村はさらに絶望の淵へと沈んでいきました。
やがて、旅の途中で偶然この村を訪れし女が最後の候補に選ばれました。
彼女は飢えに苦しむ里人たちへ食糧を分かち与え、その優しさと美しさで、皆の心を潤したと伝えられます。
人々は思いました──「この慈悲深く麗しき女こそ、真の巫女に相応しからん」と。
旅人の女は清めの塩を携え、焼却炉の炎に身を捧げます。
燃えさかる炎の中、現世で身につけし欲や罪は浄化され、やがて白骨のみとなりました。
その白骨に、男衆の神聖なる液をそそぐ神事が執り行われ、三日三晩、静かに蘇りの時を待ちわびたのです。
すると如何に──彼女は見事に命を取り戻したのでございます。
かくして蘇りし彼女は、男衆の神聖なる液によって再び肉体を得たゆえ、村人と血を分かち合う同胞でもありました。
彼女は黄金の大蛇の神の意志を継ぎ、守護の巫女となりて村を導く存在となったのです。
その姿は贖罪と再生の象徴として、この地に母なる慈悲をもたらし、人々を救う光となりました。
この奇跡を讃え、村人たちは社を建てて黄金の大蛇の神を祀り、巫女の魂を宿す社といたしました。
それが今日に伝わる「浪速救魂神社」でございます。
以来、金運と魂の救済を願う人々の心の拠り所として崇められ、飢餓や悲劇の記憶を乗り越えるための象徴として、絶えることなき信仰を集め続けております。
かくて浪速救魂神社は、古より続く神威のもと、多くの人々を守り導き、希望と繁栄をもたらす場として尊ばれ伝えられているのでございます。